時 間/9:00~17:00(入館受付は16:30まで) 入場料/一般500円、高校生250円、小・中学生200円、団体割引有り |
昭和8年、美平は早稲田大学高等師範部を卒業する。帰郷後の4月、春陽会初入選の電報が在京中の妹茂子から電報が届く。 「自分の絵が良くて春陽会に入ったとは思えない。自分の絵の価値は自分が一番良くわかる。・・・あの50号が入ったものとすれば 自分の絵に対する態度の真剣さが買われたものだと思う。」と受賞の思いを日記に記している。この言葉から、美平はまだまだ満足を 得ておらず作品作り、独自のデフォルメを追い求めていたように思える。 (※入賞作品「少年像」は、昭和63年に遺族から天神小学校へ寄贈されている。) 同年8月、徴兵検査を受け、甲種合格となる。 昭和9年1月、松山歩兵連隊に入隊、幹部候補生となった。 同年12月、予てから胃潰瘍にて床に臥していたい父、萬八が他界する。(享年70歳)美平は、松山歩兵二十二連隊で幹部候補生で 丁度、試験中のため帰郷できず、4日後に対面する。 「父君の 生けるが如き死顔を おがみて涙 新しく出ず」「逝ける父の 死顔を描けばさ夜中の鉛筆震ふ 寒さ身にしむ」 父への別れを詠んだ。 この日から約3年後、美平は父の許へ逝く運命を持つこととなる。 昭和10年美平は除隊となり、予備役歩兵少尉に任官される。そして五十崎青年学校専任教員となり、新たな人生を歩み始めた。 その頃に自宅別棟に新築されたアトリエで絵画制作に打ち込んだ。 (※このアトリエは現在も残っており、本展のアトリエ再現にも、遺族の方よりご協力いただいています。) |
春陽会入選作品 「少年像」 自宅アトリエにて、妹 茂子と。 |