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時 間/9:00~17:00(入館受付は16:30まで)
入場料/一般500円、高校生250円、小・中学生200円、団体割引有り

昭和4年3月、美平は大学受験のため上京し、東京美術学校と早稲田大学を受験する。美術学校は用器画の不得意により失敗したが
早稲田大学高等師範部(国語漢文科)に合格し入学する。憧れの美術学校進学を断たれた美平だが、絵を描く欲望はとどまることはなく、勉強の傍ら野外写生、展覧会の見学など希望に満ち溢れた東京での学生生活をスタートした。展覧会での絵画観賞は、自分の特色、嗜好を照合させながら欠点を補う眼を養っていった。
昭和5年、独学ではどうしようもなく、自分の絵のデッサン不足を補うべく、春陽会研究所の門をたたいた。春陽会は、大正11年、
小杉放庵、森田恒友、山本鼎、梅原龍三郎、足立源一郎らが、岸田劉生、木村荘八、中川一政、石井鶴三、萬鉄五郎らを客員に迎え創立した美術団体で、研究所は昭和4年に開設された。美平は絵を描くようになってからほとんど木炭を使っての素描をやったことがなく、デッサンには随分てこずった。「正確なデッサンができなければよい作品は生まれない」と日記に記している。春陽会研究所での 講習は力量を著しく進歩させた。そして美平は初の公募展へ出品をする。帝展である、しかし、結果は落選。その落選をバネに数々の作品を生み出していった。さらに「200号か120号に描きたい。大作をやりたい。」小さなキャンバスでは納得できても、大きなものになるとまだまだてこずっていた。
昭和7年大学最後の年、伊豆大島にスケッチ旅行に出かけ「お英アンコ」「おちえアンコ」といった秀作を制作している。そして春陽会研究所コンクールで「裸婦立像」が第一席を得る。

五十崎青年学校教員時代の美平。
(左端)

「裸婦立像」春陽会研究所
コンクール第一席。

 

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